KEYNOTE 04 コロナ禍の地域福祉とSDGs

KEYNOTE 04 コロナ禍の地域福祉とSDGs

KEYNOTE04では、コロナ禍での地域コミュニティとまちづくりについて考察した。

今号ではコミュニティとも関係が深い地域の医療・介護・福祉のコロナ禍の現状と未来について考えてみたい。

 

デジタル無縁社会

– オンライン化と接触自粛が変える人間関係

この領域と関係が深いコロナ禍の地域社会の未来シナリオが「デジタル無縁社会」である。

地域コミュニティ・会社コミュニティの衰退、感染予防のための家族の訪問控え、介護サービスの短縮・休業も重なり、高齢者や障害者の孤立が進んでいる。その結果として、うつ病や自殺者(近年減少傾向にあった)の増加も危惧される。在宅時間が増えることで、DV・虐待・望まぬ妊娠など家族内トラブルの増加も見られる。人と人との関係性、コミュニケーションのスタイルが変わり(空間・間接・簡潔の三間化)、インターネット上のフェイクニュースや誹謗中傷が増えている。また、オンラインを使いこなせる人、使いこなせない人による経済や人間関係の格差が広がりつつあるというシナリオだ。

 

前号では、リモートワークの普及が進むことで、
生活の力点が「ハレ(グローバル)からケ(ローカル)」へシフトが起きるシナリオを紹介した。その結果、地域にいる時間が少なかった会社員の在宅率、在地域率が高まり、地域づくりに新たな担い手が加わる好機であることを述べた。
こうした地域福祉にとってプラスの現象と同時に、この急激な環境変化への適応が難しく
「取り残される人」が多数生まれつつあるのだ。

 

 

障害者・単身高齢者他の孤立

私が現在力を入れているテーマの1つが「認知症」。認知症のある方が暮らしやすい社会を実現するための様々なプロジェクトを行っている。

認知機能の低下に伴い、仕事を失ったり、趣味(料理・スポーツ・旅行など)を楽しめなくなる認知症の方は多い。認知症の方が幸せな生活を続けるために大切なのが、仲間であり、コミュニティである。仲間とちょっとしたおしゃべりを楽しむ、一緒に創作活動を楽しむ、時には報酬をもらう仕事を行うなど、コロナ前には全国各地で認知症のある方が社会参加するための活動、場作りが多数行われていた。しかし、外出自粛・接触回避が理由でほとんど全ての活動がストップしてしまった。感染時に重症化する可能性が高い高齢者中心でもあり、再開は慎重にならざるおえない。認知症に限らず、高齢者・障害のある方の社会参加機会が減ることは大きな課題である。

日常的にITを使いこなしている若年層やビジネスパーソンは外出自粛下でも人とつながる手段を確保できる。しかし、高齢者や障害のある方にはそれが難しい。認知症のある方の中にも、スマートフォンやタブレットを普段から使いこなしている人は多数いるものの、新しいサービスの初期設定には家族やソーシャルワーカーなどのサポートが欠かせないことが多い。Zoomなどのオンライン会議を一人で使いこなすのは相当なハードルがあるのだ。また、福祉業界のIT化の遅れの影響も大きい。ご本人のリテラシーをあげること、日常的に接する介護・福祉関連職のリテラシーを高めることが、人材が不足していることを考えても、これからの地域福祉に強く求められる。

 

社会インフラの決壊

– コロナ・高齢化・自然災害の3難による危機

もう一つの関係するのが、こちらのシナリオだ。高齢化に伴う社会保障費の負担増などが原因で国と地方自治体の財政はコロナ前から危機的状況であった。介護人材は2025年に38万人不足が見込まれるなど、医療・介護インフラは以前から危機的状況にある。ここ数年の台風等の自然災害で道路や河川等のインフラの修繕・維持費用の負担も大きい。東京オリンピックの延期も加わる。コロナ以前より最重要課題であった財政と社会インフラの課題はもう待ったなしの状態であろう。

 

地域共生社会 2.0 の実現を目指して

こうした無縁社会の進展、インフラの危機的状況を背景に厚生労働省は「地域共生社会」という概念を提唱している。
「地域共生社会」とは、制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会を目指すものと定義されている(厚生労働省ホームページより抜粋)。

地域共生社会を実現するにあたって、このコロナ禍で浮き彫りになったのが、地域における立場や分野による分断が根強いという課題である。

危機的状況化において、人はどうしても視野が狭くなる。感染の恐れから医療従事者の家族が地域で孤立を深めるのはその典型だ。医療従事者の子女が保育を受けられなければ、その地域の医療体制は崩壊へと近づく。目の前のことへの短絡的対処が回り回って地域の状況悪化、最終的には自分自身の不利益につながるということ、一見離れているように見える課題同志がつながっているということを理解する、すなわちSDGsの視点を持つことが何よりも大切だ

 

このことはコロナ禍に限ったことではない。地域で認知症のある方の「徘徊」が問題になることがある。「徘徊」という言葉の使い方が、そもそも私は不適切だと思うのだが、それは本連載の趣旨とは異なるので置いておく。認知機能が減退した高齢の方が何らかの理由で街を歩き回る。それに対して、地域住民が温かく見守り、困った時には手を差し伸べられる社会、それが地域共生社会である。一方、歩き回ること、たまに迷惑をかけることを非難する人も多い。こうした人と地域の不寛容性の背景にも「分断」がある。自分がいつ認知症になるかわからない、大病を患うかもしれない。その時に、不寛容な地域で暮らすことで、困るのは自分である。認知症のある方の状況を自分のこととして受け入れ、自分ごととして対処できる人がどれだけ地域にいるか、それが地域全体の寛容性を決め、地域共生社会の実現可否を決めるのである。

 

新型コロナウィルスの感染拡大は、徐々に日本社会で深刻化しつつある、

コミュニティ衰退の課題、他者への不寛容性という問題を見える化してくれた。
課題が明確になれば、解決への道筋も見えてくる。そういう意味で、このコロナ禍は未来の地域福祉、地域社会の実現に向けて、市民一人ひとりが、地域全体が変わるチャンスだとも言える。

 

\\thanks//
最後までお読みいただきありがとうございます。

 

書籍情報

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